MOCCHIN®

コペンハーゲンとその先の世界

「イクゼ、ハタチ。」を終えて

 満員御礼!!!!

 

2017/12/2 inspiritual voices Circle Live「イクゼ、ハタチ。」無事終演!
満員のお客様の前で20年目を迎えたインスピの今の姿を存分に見せつけられたんじゃないかなと、ただただ充実感でいっぱいです。
250人全員があの2時間半に向けてひとつになってく姿たるやそのエネルギーたるや、アッチッチでした。

 

一年前


運営に入ってからの一年ちょっとを振り返ると、長かったようで短かったようで、いや〜長かったかなあ。
最初ミサイルから運営入らないかと連絡があった時はまだ僕はコペンハーゲンにいました。
当時は自分のやりたいことに素直にそして今日を今日のために生きてる人たちに感化されて、日本に帰ったら学生生活最後やりたいことだけを思う存分やってやろうと思っていました。
だから、インスピに戻るなんて正直思ってなかったし、まして一番大変そうな運営なんてごめんキツイわNOTHANKYOUと内心は思いつつも、ちょっと考えるわと返したんじゃないかな確か(笑)それから結構悩んだな〜。
結局、やりたいことはいつでも出来るけど、インスピにいる間しかできないこと得られない経験がありそうと思って微力ながらも運営に関わらせてもらうことに決めました。
あとね信頼する仲間と同じ目標に向かって頑張るっていうドラマみたいな青春を最後にやっぱりやっときたかったのもある(笑)
これ僕の人生史上トップ3に入る素晴らしい選択。賢明オブ賢明。一年前の自分に1万いいね。

 

サブメッセージ


何かデカイことをするときに一番大事なのは、いっちょやったろけ!っていう勢いとか覚悟なんじゃないかなと僕は思ってます。
上手くいくか不安だなとか、失敗したら大変だとかどうなるか分からない先のことで悩んでる暇があったら、いっちょやったろけ!精神でとりあえず前に進むべきだと。
20年という節目の年のサークルライブを一年かけて作っていく上で、みんながそんな思いを持って動いたらバケモンみたいなライブになるんじゃないかなとそんな思いも実は込めて「イクゼ、ハタチ。」というタイトルを提案しました。あっでもこれホントは最初は「行くぜ、ハタチ。」で柏村くんが全部カタカナにしようと言って誕生したんです。さすが!!(ここぞとばかりに褒める)
このライブを作り上げていく中でそんな隠れた思いがみんなに届いていたらうれしいなあ。

 

天才たち

 

ここまで素晴らしいライブが出来たのは運営はじめ、優秀すぎる同期、優秀すぎる後輩たちが自分の時間を割いてそれぞれベストを尽くしてくれたからに他ならないと思います。所詮サークルの活動と人は思うかもしれないけれど、でもそこに自分の生活を全振りできるみんなの姿勢を僕は心の底から尊敬してます。そんな天才たちと一緒に過ごせた日々は僕の財産です。本当にありがとう。そしてお疲れ様でした!

後輩たちの今後の活躍に負けないように自分も次のステージでめちゃくちゃ活躍してやろうとモチベーションが最高潮です。

 

最後に

僕の最後の学生生活プランを台無しにした男ミサイル。スーパースターミサイル。誘ってくれてほんとありがと。今後ともよろしくね。

インスピの裏ボスのっふぃ。あのときのっふぃがはっきり言ってくれなかったらこんなにも清々しく終えれてないと思う。感謝です。

我ら能天気コンビ青野。お前のまあいけるっしょ〜何回聞いたか笑 まあいけるよな

頑張りすぎてこっちまで苦しくなるくるとん。おつかれさまでした。いつも助けてくれてありがとう!でもまあとりあえず、は〜い肩の力抜いて〜りらーっくす

脱出ゲーマージョーカー。脱出ゲームでキモかった印象しかないっすごめん。(おつかれさまでした!来年もその頭とガッツで盛り上げてってくれ)

また細かい話は打ち上げで。

 

 

最高の一年でした!!!

イクゼ、ハタチ!!!

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留学を終える今思うこと

100点満点の一年

 本当にいい一年でした。お父さんお母さんみなさまありがとうございました。
 
 いつかの自分のために、留学を終えようとしている今思うことをまとめておきたいと思います。
 
 思えばこれまでの大学生活は、受験を終えた時に「ゴールドマンサックスには入れません」と決めつけられたことがずっと引っかかっててそれが悔しくて見返したくて何とか人生変えたくてもがき続けた4年間だったように思います。これが自分、ここが居場所と簡単に認められればどれだけ楽だったか。でもそう認めてしまったら、ずっとこのまま何も変わらず進んでいくような気がして、それが怖くてジタバタしていました。英語がどうとか海外がどうとかそれっぽい理由はたくさんありますが、留学を決めたのも一番の理由は何クソこの野郎うんこ野郎という思いでした。
 
 この一年間本当に本当にいろんな人に会いました。明日のためではなく今日のために生きている人がたくさんいました。周りの目とか他人からの評価以上に自分を大事にしている人がたくさんいました。特にギリシャでボスに言われたジャストエンジョイナウの一言には全面降伏でした。そんな人たちと過ごしていると今まで自分が何に苦しんできたのか分からなくなりました。もっと楽に考えてみようかなと思った途端、肩の荷が降りたように楽になりました。一つ壁を超えた瞬間でした。そんな状態で帰国する今、やっとちゃんと前を向いて、地に足つけて進んでいけそうなそんな気がしています。
 
 高三で受験失敗したときfacebookに強がって「全部に意味があるらしいから自分頑張ります」みたいなこと書いてるんですけど、本当にちゃんと全部意味があったのかもしれません。最後ここに繋がることになってたのかもしれません。あの時腐らなかった自分をめちゃくちゃに褒めてやりたいです。
 
 日本に帰ったら心機一転また一からのスタートです。本当に素晴らしいチャンスを頂いたと思っています。あともう1年間の大学生活、毎日一生懸命全力で死ぬ気で楽しんでいきたいとそのように思っております。これから見える景色はすごい勢いで変わっていくのかなという期待感、ワクワク感でもうはち切れそうです。もうパンパンです。くう楽しみだ!
 
 それでは皆々様お酒の席でお会いしましょう!
 
 自分へのご褒美にデンマーク生まれの時計を買いました!似合う大人になるぞ〜!
 

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アフリカで先生になってきた話

 タンザニアはイルボルという小さな村の小学校で約1ヶ月先生してきました。テストと終業式を残すのみとなったのでまとめます。
Takuma Sakamotoという名前
 たくまの「くま」がスワヒリ語でええ感じの下ネタを意味するようで、自己紹介するだけで笑いが起きました。しかも幸か不幸か「さか」と「もと」もそれぞれ「くま」を飾るのにええ感じの意味があってフルネームを言った際には笑いを超えて拍手が起きました。全国のさかもとたくまさん集めて一緒に東アフリカ旅したらめっちゃ楽しいやろなあ。実は到着初日にボスに「ジョナス」と名乗ることを猛烈に勧めらたんですが、ジョナスは普通に嫌だったのでやんわり断りました。
 外を歩けば会ったこともない人たちに「タクマーウェルカーム」と声をかけられ、店に立ち寄れば人だかりができ、たまに「あれ芸能界デビューしてたっけ」と戸惑うほどでした。ホストファミリーはただの菩薩ファミリーでした。マサイ族ということで食事は正直全く期待してませんでしたが、ママの手料理は最高に美味でした。むしろ腹八分目という言葉は彼らには通用せず、「クラチャクラタクマ」と言って毎日腹十二分まで食べさせてもらいました。ありがとうございました。(あっマサイ族といっても街の近くで暮らしてる人たちは普通に洋服で生活してます。あの棒で突いてきたりめっちゃジャンプしたりしません。でも家に牛はいます。)妹たちもすごく懐いてくれてうれしい限りでした。特に3歳の妹ちゃんはただの愛嬌の具現化、権化でかわいくてかわいくて仕方なかったです。あーーー娘ほすぃーーとそんな風に僕は思っています。私は娘が欲しいと思っています。帰りたい場所がまた一つ増えました。
 先生になってみて
 別に教育にめちゃくちゃ関心があるとか熱い思いがあった訳ではなく、動機は全然違う知らない世界を見てみたいという単純なものでした。たった約1ヶ月ボランティアの域で先生をやってみただけですが、多くのことを感じることができました。先生ってすげえです。長時間集中が続かない子どもたちを朝から夕方まで椅子に座り続けさせ、なおかつ毎日何教科も教え込むってよく考えたらすごくないですか。文字だけ見たら超能力者集団じゃないですか。
 僕は英語と算数の授業を担当していました。みんな英語ある程度話せるし教科書通りに進めるだけなのですが、この村ではスイクンばりにレアな日本人でありインパクト抜群の名前というコンボで初日から遊び道具にされてしまい、いやーめちゃくちゃ大変でした。例えば一年生のクラスではこっちで注意してたらあっちで喧嘩が始まって、止めに入ってたらまた別のところで一人号泣しだして、どしたーって聞いたら「〇〇くんが鉛筆削り貸してくれない〜涙」くらいのしょうもない理由で呆れてたら、喧嘩してた子らが仲良く「先生トイレ行ってきます」って教室を走り去り、理性で怒りを抑えてたら後ろから「ナイスヘアーね」と髪をわしゃわしゃされ、、、etc こんな感じです。ぜひ映像で想像してみてほしいです。何度「わお!カオスだね!」と心の中で叫んだことでしょう。昼休憩のサッカーに付き合って家に帰る頃にはくたくたです。毎日シエスタでした。ただ自分で注意しながら同じこと昔先生に注意されたなーと思うことも多々あって、結構な先生方に「その節はお世話になりました」という念を送らせていただきました。届くといいな(笑)
 一方で「ひゃっほーい勉強たんっっのしいいいいー」って感じで学ぶ彼らの姿には胸を打たれました。テレビもネットも整わないこの小さな村では勉強することも遊びの一つなのかもしれません。全問正解で花丸を書いてあげた時のあの子の満面の笑みは当分忘れないだろうなあ。原点を見た気がしました。今めっちゃ勉強したいです。
 びっくりランキング
 アフリカだからこそ驚くことがたくさんありました。形骸化した時間割、授業をサボる先生、サッカーしてる男子達のボールを突如奪い堂々とその場でドッジボールを始める女子の強さなどなど。ベスト3発表〜〜。
第3位 髪型
 男の子はみんな坊主です。女の子も基本坊主です。ちょっと長い髪の女の子も気合いの入った編み込みでパッと見坊主です。これは僕のいた小学校に限った話ではなくおそらくアフリカ全土でみんな坊主です。ブリーチの成れの果てのような髪質がそうさせるのか、伝統なのかわかりませんが、大人も男性は大体坊主です。スカートが唯一の判断材料なのにズボン履かれた時にはもうお手上げです。HeなのかSheなのか。彼らにとっては男が坊主以外の髪型をすることは論外で、何度も「先生は何で坊主にしないの?いつするの?」と聞かれました。頑なに坊主に抵抗する野球部員の気持ちを知れた気がします。
 イケてる筆記用具は僕たちをヒーローにしてくれたように、彼らにもそれを手にすることでヒーローになれる三種の神器が存在するようです。それは「消しゴム・定規・鉛筆削り」です。全て筆箱に入ってるじゃないかと思うかもしれませんが、彼らには筆箱という概念が存在しません。毎日鉛筆一本のみを握りしめ登校するのです。まるで武士のように。そのためこれら三種の神器を一つでも携帯する余裕のある者は授業中ヒーローになれるのです。この三点の中でも鉛筆削りは別格です。消せなくても、直線が引けなくても作業は続けられますが、書けなければ何もできません。鉛筆削り保持者のもとへは授業中多くの生徒が集まります。しかし鉛筆削り保持者には選ぶ権利が与えられており、一段高いところから取引相手を選別します。ここで消しゴムや定規を保持していることは強力なカードとなります。上で述べた涙は取引失敗の証です。そんな中これら三種の神器を全て保持し、加えてシャープペンシルという未知の筆記用具を手にする僕は神を超えた存在に見えたのかもしれません。休み時間には多くの生徒がシャープペンシル目当てに集まり、先生からは筆箱をもう持ってくるなと言われてしまいました(笑)
第1位 体罰
  かなりショックな驚きでした。何十年も前の悪しき伝統がここにはまだ残っていました。各教室には生徒を叩くための細い枝が用意されていて、騒がしい子や悪さをした子は容赦なく叩かれます。先生たちは無表情に生徒を鞭のように叩きます。低学年の子たちが、泣くと余計に叩かれるから必死で涙をこらえて痛みを我慢している姿には本当に胸が痛みました。ある日は授業開始前に全員グラウンドに整列させれて一人ずつ枝で叩かれていました。大量の堪える泣き声が聞こえる異様な光景でした。言葉は悪いですがその分しつけは素晴らしく行き届いていて、先生が教室に入ってきた瞬間には全員起立して揃って挨拶するし、どんなに騒がしくてもボランティア以外の先生が廊下を通るだけで一瞬で静かになります。これもこの学校だけの話ではないようです。先生の前では機械的に動く子どもたちに違和感しか感じませんでした。思わず先生に「なんで叩くんですか?」と聞くと「逆にそれ以外にどうやって子どもたちを静かにさせるの?」と言われました。返す言葉がありませんでした。僕たちは先生が好きだから、尊敬できるから言うことを聞いてきたはずです。痛いことをして欲しくないから言うことを聞くなんてそれじゃあ動物じゃない。郷に入っては郷に従えと言いますが、この点だけは従えませんでした。叩かないと分かってるから僕の前では上で述べたように活き活きと騒いでたわけです。それが分かってからは仏の心で接してやりました。うるさすぎて何度も先生に注意されましたが、聞きながしていました。

まとめ

挙げればキリがない程の問題がありました。今の僕でも本気で関われば改善できそうな小さな問題から、文化伝統に関わる大きすぎる問題まで。教育のレベルはそのまま国のレベルなのかもしれません。教育はきっと全ての根底にあります。このことを肌で感じたからといって、今どうこうする訳でもありませんが、この点はいつか別の点と線で繋がると確信しています。
 

留学後半

来週とうとうコペンハーゲンに帰ります。ギリシャで1ヶ月。タンザニアで1ヶ月半。史上最高に濃い夏でした。また会いたい人戻りたい場所がたくさんできました。世界がどんどんどんどん広がっていきます。あと4ヶ月と少しあの子の笑顔をモチベーションに勉強に励みます。
 
写真はキリマンジャロ山頂からの朝日。5895mからの朝日。あまりに美しくて泣いちゃいましたわ。
五大陸最高峰制覇かーー笑

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ギリシャで人生儲け!

テッサロニキというギリシャ第二の都市にあるホステルで1ヶ月間住み込みスタッフとして働いています。Workaway様様です。週5あるいは週6の朝9時から1時過ぎまで働く代わりに宿泊費と朝食代が無料になるという契約です。この3週間、寝たい時に寝て、食べたい時に食べて、飲みたい時に飲むという人生史上最高に怠惰な日々を過ごしております。いやー楽しい。楽しいです。ごめんなさい。

YOSOはYOSO。UCHIはUCHI。

毎日入れ替わり立ち替わりで世界各国からたくさんの旅人がやってきて、たくさんの魅力的な(変な)人たちと出会いました。
「俺の国今経済危機なんだよな〜アッハッハ」と言って平日の昼間からビール飲んでるおじさん。
「さっきドイツとカナダのパスポート盗まれたわ〜まあまだギリシャとトルコのパスポート持ってるから問題ないわ〜」と笑っていた結局何人か分からなかったおじさん。
「まだ3万km以上漕ぐんだぜ〜」とニヤニヤ話してくれた自転車で世界一周中のおじさん。
「肺が悪いから吸い続けないといけないんだ」と言ってずっとマリファナ吸ってたお兄さん。
他にもずっと踊ってるお姉さんとか永遠とギターをかき鳴らしてたお兄さんなどなど。
みんな共通して、周りがどう思うかなんて微塵も気にしてなくて、ただ思うがままに生きていました。だからこそ魅力的だったし、かっこいいと素直に感じました。人と違うことがしたいとか目立ちたいとか難しく考えず思うがままに行動を重ねていくことで、結果として本当に突き抜ける人になれるのかなと思ったり。「ヨソはヨソ。ウチはウチ。」って実はすごい核心を突いているのでは!

KUSOKURAEYADE

 ある日ボスと話している時に僕は、将来はどうとか、帰国したらどうとかそんな話をしました。すると一言”Takuma, Today is for Today. Tomorrow is for Tomorrow. Just enjoy NOW. Cheers!🍻” と言われました。惚れました。地に足つかずバタバタ生きてきた僕にとっては目から鱗の一言でした。確かにどうなるかわからない先のことであれこれ悩むよりも、目の前のビールをめちゃくちゃ楽しんだ方がそりゃ幸せですわな!
 それでも目標を持つことは大事だしそこから逆算して計画を練ると「いやんなんて生産的なの💗」という快感に浸ることができます。ただその計画によって今日が充実しなくなるのなら、そんな目標KUSOKURAEYADE!ボスの言葉を受けて最近そんな風に考えるようになりました。

GOOD JOB 諸大大大大大大先輩方

「日本マジリスペクトだよベイベ」と言ってくれる人にもたくさん出会いました。何度日本人であることを誇らしいと思ったでしょう!留学生はみな一様に感じていることだと思うのですが、アジアの端の島国をこれだけ世界で賞賛される国に育て上げた諸大大大大大大先輩方は本当にすごすぎます。信じられない。スタンディングオベーション。でも日本ラブな外国人って結構いて、そう言われることにだんだん慣れてくるわけです。ドヤ顔で「いやいや大したことないよ〜」とか謙遜してるわけです。そんな中最近ふと「あれ待てよ?何様なんだ?」と気づいてしまいました。諸大大大大大大先輩方の財産を食いつぶし、親の脛さえも未だに嚙り続けるような小僧が何様なんだと。いやー反省反省。これからはいかに諸大大大大大大先輩方がすごかったのかをしっかり伝えていきます。積極的に拍手を煽っていきます。また個人的には、そんな恩恵を享受するだけで子どもや孫に何も残せないような世代の一員になるのは単純に嫌なので、日本のこれからに圧倒的に貢献できる大人にならないとなぁと思っています。そんな大それた覚悟を抱きつつ全力でダラダラしているそんな今日です。

まとめ

1. 変な人はかっこいい

2. 今日を楽しめない目標はKUSOKURAE

3. 見ててください諸大大大大大大先輩方

たった3週間ですが楽しく生きてる人に囲まれて、いい意味で肩の力を抜いて過ごせるようになった気がします。人生儲け!残り楽しみます〜!

 

写真は休みに行ったタソス島のゴールデンビーチ。ギリシャの島は一人で行くところではありません。ロマンチック過ぎます。心が折れます。いつかまたここへ!

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就学ビザ(residence permit)取得まで(出発準備4)

今回はresidence permitの取得までの流れを失敗談も交えて書きたいと思います。

letter of admissionが添付されたメールに今後の流れが記載されていますので、しっかり確認しましょう。

Residence permit(ST1 form)

ST1 form と呼ばれる書類に必要事項を記載し必要データを添付しオンラインで提出します。Part1とPart2に分かれていて私たちが記入する必要があるのはPart2です。Part1は大学側があらかじめ提出してくれています。手書きのサインのスキャンや日本の大学の成績証明書、本人名義の銀行の残高証明証をアップロードします。

提出が終わったら、提出した日から14日以内に代官山にあるデンマーク大使館にbiometric feature(指紋等)を登録しに行く必要があります。あらかじめ予約が必要なので気をつけましょう。これで手続きは一通り完了であとはresidece permitの書類が家に郵送されてくるのを待つだけです。私は10/31に提出を済ませ、次の週に指紋をとりにいきました。

失敗談

まずデンマークの移民局は非常にルーズだということを頭に入れておいてください。

私はST1formの提出の段階で残高証明をアップせず申請しました。必須ではないという内容の文面であり、アップしなくとも手続きを進めることができたからです。

すると不足書類の提出として59300kr(約110万円)分の銀行の残高証明証を送ってくれという手紙が11月中旬に届きました。残高証明の目的はいわば一年間の滞在中に生活できるだけの経済的余裕があることを示すためなので、残高証明を発行する際に一時的にこの額を超えるお金があれば問題ありません。

無事国際便でデンマークへ郵送してあとは待つだけという状態でした。出発前日にやっと来たと思えば、本来なら68000krの残高証明が必要なのだが、少ない金額を記載してしまったので新しいものを送り直してほしいと。。出発前日にです。

結局residence permit を持たず出国しました。デンマークでの入国審査よりも経由地での入国審査が問題です。私はオランダ経由だったので問題なくオランダの入国審査を通過できましたが、同じ状況でフィンランドの入国審査でかなりの足止めをくらった友人もいました。

 

まとめ

残高証明の金額は人ぞれぞれのようなのですが、できるだけ指定された額よりも多めに入れておくことをお勧めします。

しっかり出すべき書類を提出した人でもresidence permit が発行されなかった人もいて、結構運なのかなと思っています。結局私はこちらに来て2ヶ月ごにやっと取得できました。ですからもしresidence permit が発行されなかったとしても焦ることなく広い心をもって出国の準備を進めましょう!

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留学先決定までの流れ(出発準備3)

今回は交換留学先がコペンハーゲン大学に決まるまでの流れを説明したいと思います。

あくまで大阪大学コペンハーゲン大学ver.春セメスター(2月)ですので悪しからず。

 

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流れ1 在籍大学へ諸書類提出

阪大では第一期(春セメスター入学)と第二期(秋セメスター)の2パターンが存在します。欧米の大学は9月始まりですので秋セメスターからの留学を志望する人のほうが多いと言われています。第一期の提出書類締め切りは例年7月上旬で、第二期が10月上旬です。7月下旬頃(10月下旬頃)に面接が行われあとは学内選考の結果を待つのみです。

流れ2 提携大学への推薦決定

私の場合は9/15に大学からコペンハーゲン大学へ推薦することが決まったという旨のメールが届きました。これにより私は交換留学生としてコペンハーゲン大学で学ぶ権利を得たわけです。あとは受入許可証を貰うための書類に必要事項を提出して待つだけです。

 

流れ3 admissionゲット

10/19にコペンハーゲン大学から正式に受け入れることが決定したという旨のメールと受入許可証(Letter of admission)が届きここで正式にコペンハーゲン大学へ留学できることが決まりました。

 

まとめ

この後にビザの申請などなかなか面倒な手続きが待ち受けています。

提出漏れ等があるとさらに面倒なことになるので気をつけましょう。

英語の勉強も含めて計画的にスケジュールを組む必要があります。夢の留学生活はすぐそこ!

 

 

 

 

交換留学の志望動機の書き方について

留学準備の中で頭を悩まされることの一つが志望動機をどう書くかだと思います。

今回は効果的な志望動機の書き方について3つのポイントを紹介したいと思います。

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Point 1 エッセイの形式に沿うこと

英語と日本語の両方で書くことが多いと思いますが、いずれにしても必ずまず結論を提示してそう考える根拠を具体例を交えて二つ以上述べ、最後に再び結論を述べるというエッセイの書き方は守りましょう。たくさんの志望動機を見てきている面接官にとって、エッセイの形式も知らないと思われるような文章はあまり好印象ではありません。

エッセイの書き方くらい知ってるぜとドヤ顔で提出してやりましょう。

Point2 将来のビジョンを明確化

将来のビジョンをはっきりと伝えましょう。そのビジョンのためには留学することが必要だということを上手く説明できれば、納得のいく志望動機となります。例えば「将来は世界を率いるビジネスリーダーになりたいと考えています。そのためには広い視野が必要だと考えています。そこで交換留学によって世界中から集まる優秀な学生と議論することを通じ視野を広げたいと考えています。」このように留学で得られる経験がいかに自分の将来に結び付くのかわかりやすく説明すると効果的です。

Point3 具体的エピソードで説得力up

さらに留学を志すに至った具体的なエピソードを加えると説得力upです。例えば「東南アジアを旅行した時に出会った一人の学生が自分よりも恵まれない環境にも関わらず、大きな目標を持って日々勉強に励んでいる姿を見て自分も頑張らなければと感じました。」とか「海外で活躍する父の姿に憧れ、私も将来は世界を舞台に働きたいと考えるようになりました。」という様に、より共感を生むエピソードがあると強いと思います。

 

まとめ

以上のポイントを踏まえた上で最も重要なのは留学への熱い思いを伝える工夫だと思います。本気で行きたいことが伝われば、面接官の心も動くはずです。みなさま思う描く留学生活を掴めることを祈っています!