MOCCHIN®

コペンハーゲンとその先の世界

アフリカで先生になってきた話

 タンザニアはイルボルという小さな村の小学校で約1ヶ月先生してきました。テストと終業式を残すのみとなったのでまとめます。
Takuma Sakamotoという名前
 たくまの「くま」がスワヒリ語でええ感じの下ネタを意味するようで、自己紹介するだけで笑いが起きました。しかも幸か不幸か「さか」と「もと」もそれぞれ「くま」を飾るのにええ感じの意味があってフルネームを言った際には笑いを超えて拍手が起きました。全国のさかもとたくまさん集めて一緒に東アフリカ旅したらめっちゃ楽しいやろなあ。実は到着初日にボスに「ジョナス」と名乗ることを猛烈に勧めらたんですが、ジョナスは普通に嫌だったのでやんわり断りました。
 外を歩けば会ったこともない人たちに「タクマーウェルカーム」と声をかけられ、店に立ち寄れば人だかりができ、たまに「あれ芸能界デビューしてたっけ」と戸惑うほどでした。ホストファミリーはただの菩薩ファミリーでした。マサイ族ということで食事は正直全く期待してませんでしたが、ママの手料理は最高に美味でした。むしろ腹八分目という言葉は彼らには通用せず、「クラチャクラタクマ」と言って毎日腹十二分まで食べさせてもらいました。ありがとうございました。(あっマサイ族といっても街の近くで暮らしてる人たちは普通に洋服で生活してます。あの棒で突いてきたりめっちゃジャンプしたりしません。でも家に牛はいます。)妹たちもすごく懐いてくれてうれしい限りでした。特に3歳の妹ちゃんはただの愛嬌の具現化、権化でかわいくてかわいくて仕方なかったです。あーーー娘ほすぃーーとそんな風に僕は思っています。私は娘が欲しいと思っています。帰りたい場所がまた一つ増えました。
 先生になってみて
 別に教育にめちゃくちゃ関心があるとか熱い思いがあった訳ではなく、動機は全然違う知らない世界を見てみたいという単純なものでした。たった約1ヶ月ボランティアの域で先生をやってみただけですが、多くのことを感じることができました。先生ってすげえです。長時間集中が続かない子どもたちを朝から夕方まで椅子に座り続けさせ、なおかつ毎日何教科も教え込むってよく考えたらすごくないですか。文字だけ見たら超能力者集団じゃないですか。
 僕は英語と算数の授業を担当していました。みんな英語ある程度話せるし教科書通りに進めるだけなのですが、この村ではスイクンばりにレアな日本人でありインパクト抜群の名前というコンボで初日から遊び道具にされてしまい、いやーめちゃくちゃ大変でした。例えば一年生のクラスではこっちで注意してたらあっちで喧嘩が始まって、止めに入ってたらまた別のところで一人号泣しだして、どしたーって聞いたら「〇〇くんが鉛筆削り貸してくれない〜涙」くらいのしょうもない理由で呆れてたら、喧嘩してた子らが仲良く「先生トイレ行ってきます」って教室を走り去り、理性で怒りを抑えてたら後ろから「ナイスヘアーね」と髪をわしゃわしゃされ、、、etc こんな感じです。ぜひ映像で想像してみてほしいです。何度「わお!カオスだね!」と心の中で叫んだことでしょう。昼休憩のサッカーに付き合って家に帰る頃にはくたくたです。毎日シエスタでした。ただ自分で注意しながら同じこと昔先生に注意されたなーと思うことも多々あって、結構な先生方に「その節はお世話になりました」という念を送らせていただきました。届くといいな(笑)
 一方で「ひゃっほーい勉強たんっっのしいいいいー」って感じで学ぶ彼らの姿には胸を打たれました。テレビもネットも整わないこの小さな村では勉強することも遊びの一つなのかもしれません。全問正解で花丸を書いてあげた時のあの子の満面の笑みは当分忘れないだろうなあ。原点を見た気がしました。今めっちゃ勉強したいです。
 びっくりランキング
 アフリカだからこそ驚くことがたくさんありました。形骸化した時間割、授業をサボる先生、サッカーしてる男子達のボールを突如奪い堂々とその場でドッジボールを始める女子の強さなどなど。ベスト3発表〜〜。
第3位 髪型
 男の子はみんな坊主です。女の子も基本坊主です。ちょっと長い髪の女の子も気合いの入った編み込みでパッと見坊主です。これは僕のいた小学校に限った話ではなくおそらくアフリカ全土でみんな坊主です。ブリーチの成れの果てのような髪質がそうさせるのか、伝統なのかわかりませんが、大人も男性は大体坊主です。スカートが唯一の判断材料なのにズボン履かれた時にはもうお手上げです。HeなのかSheなのか。彼らにとっては男が坊主以外の髪型をすることは論外で、何度も「先生は何で坊主にしないの?いつするの?」と聞かれました。頑なに坊主に抵抗する野球部員の気持ちを知れた気がします。
 イケてる筆記用具は僕たちをヒーローにしてくれたように、彼らにもそれを手にすることでヒーローになれる三種の神器が存在するようです。それは「消しゴム・定規・鉛筆削り」です。全て筆箱に入ってるじゃないかと思うかもしれませんが、彼らには筆箱という概念が存在しません。毎日鉛筆一本のみを握りしめ登校するのです。まるで武士のように。そのためこれら三種の神器を一つでも携帯する余裕のある者は授業中ヒーローになれるのです。この三点の中でも鉛筆削りは別格です。消せなくても、直線が引けなくても作業は続けられますが、書けなければ何もできません。鉛筆削り保持者のもとへは授業中多くの生徒が集まります。しかし鉛筆削り保持者には選ぶ権利が与えられており、一段高いところから取引相手を選別します。ここで消しゴムや定規を保持していることは強力なカードとなります。上で述べた涙は取引失敗の証です。そんな中これら三種の神器を全て保持し、加えてシャープペンシルという未知の筆記用具を手にする僕は神を超えた存在に見えたのかもしれません。休み時間には多くの生徒がシャープペンシル目当てに集まり、先生からは筆箱をもう持ってくるなと言われてしまいました(笑)
第1位 体罰
  かなりショックな驚きでした。何十年も前の悪しき伝統がここにはまだ残っていました。各教室には生徒を叩くための細い枝が用意されていて、騒がしい子や悪さをした子は容赦なく叩かれます。先生たちは無表情に生徒を鞭のように叩きます。低学年の子たちが、泣くと余計に叩かれるから必死で涙をこらえて痛みを我慢している姿には本当に胸が痛みました。ある日は授業開始前に全員グラウンドに整列させれて一人ずつ枝で叩かれていました。大量の堪える泣き声が聞こえる異様な光景でした。言葉は悪いですがその分しつけは素晴らしく行き届いていて、先生が教室に入ってきた瞬間には全員起立して揃って挨拶するし、どんなに騒がしくてもボランティア以外の先生が廊下を通るだけで一瞬で静かになります。これもこの学校だけの話ではないようです。先生の前では機械的に動く子どもたちに違和感しか感じませんでした。思わず先生に「なんで叩くんですか?」と聞くと「逆にそれ以外にどうやって子どもたちを静かにさせるの?」と言われました。返す言葉がありませんでした。僕たちは先生が好きだから、尊敬できるから言うことを聞いてきたはずです。痛いことをして欲しくないから言うことを聞くなんてそれじゃあ動物じゃない。郷に入っては郷に従えと言いますが、この点だけは従えませんでした。叩かないと分かってるから僕の前では上で述べたように活き活きと騒いでたわけです。それが分かってからは仏の心で接してやりました。うるさすぎて何度も先生に注意されましたが、聞きながしていました。

まとめ

挙げればキリがない程の問題がありました。今の僕でも本気で関われば改善できそうな小さな問題から、文化伝統に関わる大きすぎる問題まで。教育のレベルはそのまま国のレベルなのかもしれません。教育はきっと全ての根底にあります。このことを肌で感じたからといって、今どうこうする訳でもありませんが、この点はいつか別の点と線で繋がると確信しています。
 

留学後半

来週とうとうコペンハーゲンに帰ります。ギリシャで1ヶ月。タンザニアで1ヶ月半。史上最高に濃い夏でした。また会いたい人戻りたい場所がたくさんできました。世界がどんどんどんどん広がっていきます。あと4ヶ月と少しあの子の笑顔をモチベーションに勉強に励みます。
 
写真はキリマンジャロ山頂からの朝日。5895mからの朝日。あまりに美しくて泣いちゃいましたわ。
五大陸最高峰制覇かーー笑

f:id:tabear562:20160806182245j:plain